その2 普久川(2回目)からゴールへ
与那関門を過ぎると、2回目の普久川関門への登りが始まる。
後半より前半が勝負。
普久川クリア後を考えて、力まず、ペースを落としすぎず。
なるべくケイデンスを上げつつ、筋肉に疲れを残さず、且つ、
確実に推進力を得るギアを選択する。
サドル前方に尻の位置をずらし、太ももが自重でペダルを落とす
タイミングに合わせて、大腰筋(だいようきん)を振り落とすイメージで
ペダルに力を伝達させ(けっして力んで踏み込む感じではない)、
下死点(ペダルが一番下がるところ)に到達したら、動物が軽く地面の砂を
掻く様に、ひょいとふくらはぎでペダルを引き上げる。
そんなイメージをキープしながら6km少しを登る。
この調子で前半のきつめの斜度をクリア。
あとは、筋肉の疲労をほぐすために、時々、ダンシングをした。
今年の9月頃までは、ダンシングをしたいと思うほどコンディションが
整っていなかったので、1年で最も重視するレースでできるようになってよかった。
ちなみに、前半の2kmほどを過ぎた辺りで、1人選手がいいスピードで下ってきた。
バイクに問題が無さそうなのに何故?速そうな選手だったので、
理想の走りができなかったから、あえてリタイアしたのか?と思っていた。
しかし、その後、コース右側に数人の人が倒れている人を囲んで、「大丈夫ですか?」と声をかけていた。
体調不良の方が出て、中断して様子を見る人と救護車を呼びに行った人だったのだ。
既に数人の方が様子を診てたので、自分はレースを続行させて頂く。
皆、遠い沖縄まで時間とお金をかけて、1年に1度のレースに出ているのに、
具合の悪い人のケアをできる気持ち、決断力を持っている彼らは、
真の勇者と言って過言ではないだろう。
その後、他のレースでも見かける鹿児島SWの若手選手が路肩で止まっていた。
マシントラブル?パンク?
英彦山ヒルクライムで優勝したくらいだから先頭集団にいただろうに、もったいない。
ちなみに、今回、沖縄に同行した前職の後輩K−DO君は脱水症状により
70km地点?で救護車に保護された。しかし、既に多くの脱水症状の選手がおり、
生理食塩水は無くなっていたので、名護の病院まで搬送されて点滴したとのこと。
スタート前にジリジリと顔を出した太陽は、予想以上に選手から水分と塩分を奪っていたようだ。
どうりで、自分も補給所でボトルをもらって、2回も飲まずに頭から被ったわけだ。
また、ゴール後に気付いたが普段は体外に塩分が付いても、顔まで付くことは無いのに、
今回は目の廻りにも、かなり塩が付いていた。
普久川クリア後に干し梅で塩分を摂ったが、その後のアクシデントを考えると足りなかったのだろう。
まずくなってもいいからスポーツドリンクに数gの塩を入れて、
かつポケットにも入れるようにしよう。
さて、普久川中盤の緩い登り。
ダンシングを織り交ぜ、ペースキープ。
登りが始まるまで同じ集団だった赤系ジャージを着た人を
50mほど前に似たペースで登っていった。
大学生など、他の選手は登りでは分断されて後方のようだ。
ヒルクライムポイントを過ぎると、けっこうなスピードが出る下りに到達。
給水所前の橋まで50km/hオーバーで走る。
70km地点 2回目普久川関門 足切時間12:00に対して11:24分に通過(36分前)
ネットの動画では、時々、曲がりきれずにガードレールから落ちる選手もいる区間なので、
注意を払うが、Cannondale Super6はハンドリング特性として、若干、ふらつき易いので、
普久川1回目と2回目とも、同じコーナーで曲がりづらい個所があった。
この点、Cyclo wiredのインプレの、なるしまフレンド浅見氏のコメントに同感だ。
以下、Cyclo wiredの記事(2009/9/4)から引用。
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ハンドリング特性は車重の軽さも手伝い、ふらつき感がある。
体のブレがすぐに現れてしまう。なので身体でこまめにステアリングを
修正しながら走ってあげた方がいいだろう。
初心者が乗るとふらふらしてしまうと思うが、
体幹がきっちり保てるベテランサイクリストなら問題ないだろう。
もし初心者モデルから乗り換えた場合、上記の軽さにより扱いにくい面も
出てくるかも知れない。販売側からはその点への注意喚起が必要かもしれない。
http://www.cyclowired.jp/?q=node/14764
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初心者でなくとも、長距離で疲れが出た時には注意が必要だ。
さて、橋までの勢いを利用して給水所でボトルの水をもらい、
頭から被ったら、右折して進路を南に取る。
ここで、塩分補給と糖分補給。
スタートからの糖分補給履歴は、こんな感じ。
1回目 普久川(1回目)クリアの39分、18km地点
2回目 奥関門を過ぎた1:10分、 37km地点
3回目 普久川の登り序盤1:51分、 60km地点?(3回目は記憶があやふやだ)
4回目 普久川(2回目)クリアの2:23、71km地点
摂取間隔が40分を超えないことと、坂の前と終えた時に摂るようにした。
次は19km先の高江関門。
12:30が制限時間なので、クリアできるとは思っていたが、
なんせ景気良く下ってから、また登り続けるので、あまり好きではない区間。
平地に降りきったところで地元の方の応援に勇気をもらい気持ちを盛り上げる。
この時は、割とリラックスできていた。
再びの登りは脚が攣る人が出てくる区間で、100kmクラス後方の選手が降りだす個所だ。
前半の集団で一緒だった人を、未だ眼中に納め、集団ではないが、パラパラと登る。
ある程度登ると下りと登りが混ざる区間で、付近に畑や農場があるようだ。
その中、心拍が上がっている状態で堆肥の香りを味わうのは、ちょいとキツイ。
単独走行になって速度が伸びないことからも、距離を長く感じる区間だ。
その後、いい下りに差し掛かった頃、遂に210kmクラスの先導バイクがやってきた!
昨年は40km地点で210kmの先頭に抜かされたので、80kmを過ぎた段階で抜かされた
今年はペースとしては良くなったということだろう。
トップの邪魔をしないようにコース左側に寄る。
さて、今年のトップは誰だろう?
颯爽と表れたのはブルーにグリーンジャージのイナーメの2人と、他チームの1人。
イナーメと言えば、Roppongi Expressこと高岡氏?
バイクをチェックすると漆黒のTIMEが先頭を走っている。
今年は逃げに乗ったんだ!
下りでも強烈な速さでした。
あのレベルだとExpressではなくLimited Express、いやSuper Expressでしょうって程に強烈でした。
まるでホームで止まっている”こだま”から”のぞみ”を見ているようだった。
昨年('10年)から市民のスタート順位が変り、肉眼でトップ選手
の走りが見られるようになったのはありがたいことだ。
その後、だいぶん走ってもメイン集団が来ないので、いい逃げが決まっているのだろうと感じられた。
数分後?210kmのメイン集団が登りで抜かして行った。
ツール・ド・北海道(市民)で優勝した鹿児島SWのMさん、その集団にいた。
強豪の中から、一歩、抜ける高岡氏は強烈だ。
その後、なかなか集団にはならず、ほとんど単独行に。
とはいえ、昨年までの自分と比較したら確実に速度は上がっていた。
特に'09年は高江に辿り着くまでにハンガーノックもありヘロヘロで、
珍しくバイクから降りたいと思ったほどであった。
来年の課題は、高江以降でも集団走行できるように、
さらに普久川で5分は速くなりたい。
210kmのメイン集団の尻に付くこともできず、やっと高江売店を通過。
89km地点 高江関門 足切時間12:30に対して12:05分に通過(25分前) ’10年より5分速い。
その後、下り基調で左手に海が見える区間。
昨年、試走を始めた辺りまで来た。
次の関門は高江から11km後なので、プレッシャーはそんなにない。
100km地点 平良関門 足切時間12:50に対して12:28分に通過(22分前)’10年より12分速い。
高江時点では、前年比5分の短縮だったので、平良までの下りで巻き返せたのが大きかった。
140km完走は普久川でスタミナ消耗して、高江以降に大失速しないことがポイントか。
その後、昨年、安部関門までで出会ったOさんと出会い、210kmの集団が抜かしていった。
数人だと思っていたので、Oさんの合図後に合流する。
その後、徐々に集団の前方へ上がっていったが、先頭の3人くらいが交代しない状態。
140kmの自分でも、若干、遅いペースだと思っていたら、後方から
「牽かないんならスピード落ちるから、入るんじゃねぇ〜」との声が飛んできた。
うわぁ、気が立っているな。
レース後、冷静になって考えたが、あの時、先頭のスピードが落ちたのは、
自分のせいではなくて、先頭数人の速度が落ちて、しかも、交代の動きがなかったのだ。
また罵声を浴びるのも嫌だし、楽しくないので、対向車線に出て、徐々に集団後方へ下がっていく。
Oさんは、どうしたの?といった表情で振り向いていた。
その後、海岸沿いの緩い登りで、付いて行く気力が出ず、集団からは完全に離れた。
その数分後、悲劇は起きた。
ここまで来たら、ギリギリ完走できるか?と思い、下りでスピードを乗せた時、
想定外すぎるアクシデントを自ら招いてしまったのだった!
ロードレース参戦10年目、130戦目にして、初めて単独落車をしたのだった。
40km/h以上は軽く出ている下りの左カーブで曲がりきれず、ガードレールに接触!
レールの支柱でバイクがロックし、その衝撃で、自分は柔道の
一本背負いのように宙に舞い、頭部からアスファルトに着地。
あまりにも一瞬の出来事だった。
そんな派手な落車だったのに、奇跡的に体は無事だった。
カーフサポートをしていたおかげで、脛に傷さえなかった。
普通なら大惨事のところ、助かったと思える理由はひとつ!お守りだ!
那覇への機内でお守りを下さった乗務員さん、ありがとうございます!神様の御加護がありました!
バイクは縁石に乗り上げて、ガードレールに引っかかっていたので、
持ち上げてレースに復帰。この間、20秒も経ってない感じだった。
あまりにも一瞬の出来事で、すぐに復帰したので、近くに監視員がいたが、
声をかけるタイミングもなかったようだ。
ずれたメーターを直し、走り始めた。
タイヤが左に寄ってフォークと接触している。
30km/h出すのもきついくらいだ。
ブレーキのリリースレバーを開放するが、接触は直らない。
ホイールがふれたか?であれば、そのまま走るしかないな。
数分して、昨年にひかかった安部関門を通過。
119km地点 安部関門 足切時間13:30に対して13:11分に通過(19分前)
一応走行はできていたので、最後の登り、トンネルからダムまでは、
できるだけ失速しないで走ることを心掛けた。
331号線から川上関門へ通じる道へ右折。
平坦だが単調だなと、少し余裕ができた時に右フォークに目をやると
黒い個所がある。汚れ?と思ったが、なんとカーボンが剥き出しの状態になっている。
こんなんなりました。
20数kmも良く耐えてくれた! カーボン繊維が剥き出しに。
ガードレールの支柱にやられたか、縁石に乗り上げたショックで割れたのだろう。
前に体重をかけてダンシングしようとすると、タイヤとフォークが
強く接触して、スピードが落ちるわけだ。
せっかく、余裕を以って関門をクリアしてきたのに、何てこったい!
しかも自分のミスだなんて。
とはいっても、もうできるだけ速度低下を避けて川上関門をクリアして完走するしかない!
橋からトンネル、ダム橋までの登りがあるが、余計な衝撃をフォークに与えないように
シッティングで走った。同じ筋肉ばかり使うことになるので、腰の痛みは相当なものだった。
長く緩い端を登ってトンネルを走る。
こんな状態なのに、昨年の試走よりは楽に走れている、まだ体力が残っている感じがした。
やはりコンディションはいいな。
トンネルを過ぎて右折すると登り。
ここまでは昨年の試走で覚えているが、その後が分からない。
一旦、下って、再び、2回ほど登りが続く。
ダンシングでクリアしたい...
尻から腰の筋肉も痛い。
少しダンシング気味にポジションを変えるが、フォークがたわむ。
一瞬だけの姿勢変化だ。
当然、バイクに乗りながら、ストレッチもできない。
この間にも、何台も抜かれていった。
ダム橋を越えた、せっかくの下りで40km/h以上出そうなところでも、
30km/h少しに抑えた走りしか出来ない。
みるみるうちに抜かしていったバイクが遠ざかる。
丁寧に丁寧に、後ろに体重を乗せて、引き脚メインでペダリングする。
踏むペダリングだとフォークに力がかかるので、3本ローラーで引き脚を使う感じだ。
ダム湖畔から下りきったら、平地で住宅っぽい雰囲気が見えてきた!
川上関門はどこだ??
応援者らしき人達が道の両側にいる。旗を持った大会スタッフもいる!
ここが関門かっ!
時間は?クリアできるか?
メーターの時計は12:56だった。
PCと連動してた設定なので、狂いはないはず。
56分になったばっかり?それとも、少し余裕を持っているのか?
心配そうに左右を探す僕に、応援者の一人が親指を立てて、OKと頷いてくれた!
(ところで、こんな時、大会関係者は、行け〜っとか言わないのかな?人によって違うのか?)
関門を突破できたのか?周りを確認する僕。写真データからは13:57分か?(トップからは54分遅れ?)
写真:コメントをくださったuhyorinさんより
やったー!関門突破だ!
ここまでこれば、完走の確率は、かなり高いはずだ。
左折して国道58号線に合流した。
136km地点 川上関門 脚切時間13:55に対して13:56分に通過。
(時計の差なのか、56分になったばかりだったのか、少し大目に見たのか?は分からない)
ちなみに恐怖の関門閉鎖のシーンはこちら。自分が通過してから2:20後。
その間に通過した7名は、いずれも完走!見たくない光景ですね。
写真:uhyorinさんより
陸上橋を登れば、あとは直線!
「完走!完走!」引き脚で丁寧に!
そういえば2005年だったかF1マクラーレンのキミ・ライコネン
がタイヤが取れたまま走ったシーンがあったけ?
あの速さにあやかってゴールで行こう。
メーターは138kmくらいを指していた。
突然、パーンッという音を立てて前輪がパンクした。
20km以上の間、フォークに接触したままのタイヤウォールが悲鳴を上げ、裂けたのだ。
でも、あともう少し。空気の抜け具合は遅かったので、なんとかするんだ!
ゴールに辿り着くんだ!と思った。
しかし、いつまでたってもゴールが見えてこない。
おかしいと思った時、路肩に残り4kmのボードがっ!
そう、ツール・ド・おきなわ市民レース”140km”と称しているが、実走距離は144kmなのだ!
(こんなところで、おきなわ感覚が出てくるとは!?)
ガマンして走ると、左折っぽい標識。
残り2kmでまちなかに入るための左折だった。
この時点で空気は完全に抜けていた。
そんな状態で曲がったため、タイヤがさらにずれた拍子に、左側に転倒してしまった。
諦めるわけには行かない!
走ろうと思ったが、なんとホイールがロック!
親指でタイヤを押すが動かない。
万事休す。
バイクを立てて走りだした。
周りから心配の声と応援の声を頂いたように思う。
が、自分は必死。
2kmを20分かけてゴールまで歩いた。
途中、大会車両から、14:15分で一般車両封鎖解除=リタイアの言葉を発せられる。
一般車両が来るから車道から歩道に移ってとのこと。
歩道をバイクを立てながら歩く、走る。
バイクシューズなので、かかとの皮が剥けて痛い。
いつになったら、ゴールは見えるのか?
長い20分だった。
一般車両が走り出し、歩道を歩く子供が不思議そうに見ているが、そんなの関係ない。
ゴール封鎖の14:15を過ぎた現実はあるが、ゴールラインを越えさせてくれ。
賑やかな商店街の中心部につき、誰も見ていないゴールラインに、バイクセンサーを通した。
走行時間 5:26:21(9:05スタート、14:32分ゴール)
ゴール到着時間14:32分(公道封鎖解除から17分後)
走行距離143.61km
平均時速26.4km/h
実走平均速度26.6km/h
最高速度75.0km/h
平均心拍168bpm
最高心拍190bpm
平均ケイデンス80rpm
消費カロリー3,366kcal
挑戦4回目の140kmはゴールに辿り着くも公式記録では完走とならずDNF(Did Not Finish)。
あと一歩のところで、自らチャンスを逃した。
しかし、運も実力のうち。来年こそは正真正銘、記録に残る完走をしたい。
DNFではあるが、練習量、ペース配分など、得られたことは、飛躍的に多くなったので、
この経験は、必ず来年に活かせるはず。
これまで完走できなかった’08年から’10年は、
レース後は、早く1年後が来て欲しいと思わなかった。
しかし、今年は、早く来い!という気持ちだ。
来年が待ち遠しい。
ちなみに、最後にこけた残り2km時点で14:12分くらいだと思うが、
仮に時速27km/hだとゴールまで4分少しで、14:15から14:16の到着だったと思う。
だとすれば、最後尾完走だった可能性がある。
ツール・ド・フランスでは最後尾で完走した選手のことを、貨物列車の最後尾にかけて
ランタンルージュ(Lanterne rouge)」=「赤ランプ」というのだが、
おきなわ版ランタンルージュになった可能性もあったことも惜しい気持ちだ。
最後に
落車して川上関門のクリアが厳しくなり、関門を越えてパンクしても最後まで諦める気にならなかったのは、
自転車小説を書いている近藤史恵さんの『エデン』に出てくる、この言葉が好きだから。
勝てるかどうかはわからない。だが、はじめて知った。そのわからないことが希望なのだと。
『エデン』Page117最終行
希望がある限り 自ら可能性を閉ざしてはいけない
レースだけでなく、仕事など、いろいろ考えること、悩みがあるからこそ、
レースのどこかで諦めることは、他のことでも諦めることにもなると思っていた。
だから、記録はDNFになろうとも、ゴールに辿り着きたかったのだ。
ツール・ド・おきなわ市民140km参戦記 おわり